平成17年7月16日
会社十年の大計
郵政改革法案が衆議院を通った。早速マスコミが内閣支持率の世論調査を発表したが、大きな
次元の意思決定、大げさに言えば国家百年の大計の評価が、即刻出来るのだろうか。また、即刻
の調査に意味があるのだろうか。一億総評論家と言われて久しいが、次元の異なる決定を十把一
からげで評価するのは望ましいことではないと思う。
次元の差と言う意味は、例えば会社で、飲み会の評価は即刻、翌日に出来ても、長期戦略の評価
は、一年後でも不可能なように、意思決定対象には歴然と次元の差が存在するということだ。また、
決定対象のみならず決定過程にも次元がある。例えば多数決で決めるのが望ましいことと、そうでな
いこととがある。
忘年会の会場の決定は多数決が望ましいだろうが、長期戦略を多数決で決める社長の辞表提出は
時間の問題であろう。
ところが、組織が大きくなるにつれて「皆で決めれば怖くない」式の民主主義がまかり通る。上場企業
の社長でさえ株主総会を切り抜けるための短期業績にしか関心のない人が少なからず存在し、無難な
評価で満足しているようだ。しかし、大きな次元の意思決定をした社長の評価は毀誉褒貶である。ソニー
のCEOのアメリカの某誌での一年毎の両極端な評価は記憶に新しいところである。
大きな意思決定の評価は何十年というスパンでされるべきであり、また独断的決定には必ず保証として
の責任が伴うことを銘記すべきだ。例えば、戦後日本の枠組みを決定した吉田茂の評価も、やっと出来る
頃でなかろうか。また、戦争の意思決定をした軍人、政治家は命で責任を取った。
現在は、政治家のみならず財界リーダーまでも、国士然とした迫力、存在感が稀有である。これは、他
次元のことを同時に評価しようとする世間の風潮、並びに意思決定の責任を合議制に押し付けようとする
リーダーの資質と無関係ではなかろう。
その点、中小企業のオーナー経営者は、志さえ高ければ、誰に阿ることなく、せめて十年の大計を決め
ることが出来るはずである。勿論命がけの責任を伴うが。
同士よ国士然と胸を張ろう。(文)
2013-11-30 13:12:18
麺声人語(徳島新聞経済サロン執筆原稿)
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