話題のご当地B級グルメ『徳島ラーメン』、焼き豚など本場の味をお届け!|赤池食品 株式会社

B級グルメ『徳島ラーメン』、焼き豚などの取り寄せサイト|赤池食品 株式会社

携帯ページ

HOME»  ラーメンパパからの一言

ラーメンパパからの一言

  • 件 (全件)
  • 1
  • 2
  • 3

平成26年11月

平成26年11月
 所変われば品変わる


 寒い寒い、北海道へ行ってきた。

 北海道は3年振り、しかも、こんな寒い季節は初めてだ。以前は9月と5月だった。

 今回は、工場見学がメインであったが、空いた時間で、札幌市内のスーパー
を何店か見学してみた。

 その店は地元資本の店でなく、全国大手チェーンの店であったため、ある程度
画一化された品揃えであった。あまり、地元色は感じられなかった。
 これなら、札幌でも仙台でも、いや大阪でも同じではないか、と感じた次第。

 やはり、地方都市に北なら、全国チェーンではなく、地元資本で地産地消を旗印
に、独自性を発揮して、大手チェーンと差別化している店を見なければ駄目だと
思った。

 この店の見学は早めに終えて、地元資本のスーパーを見学に行こうと行動を起
こした瞬間、目の前に驚くべき光景が浮かんだ。

 生ラーメンが陳列されたコーナーで、スープが添付されていない、業務用のよう
な生ラーメンの陳列面積が恐ろしく広い。こんなの見たことない。
 さらにギョッ! ラーメンコーナーに豚ガラと鶏ガラが並んでいるではないか。

 百歩譲って、精肉コーナーにあるのなら納得もいくが、ガラがラーメンコーナー
に並ぶとは、驚愕以外の何者でもない。

 札幌の人は、ラーメンスープを自宅で、ガラからじっくり炊き出して食べるのか。
やはり、札幌が日本一のラーメン処と言われる所以の一つかと思った。

 因みに香川県に行けば、出来立ての「茹でうどん」の陳列面積が恐ろしく広い。

 本当に、所変われば品変わるを実感した日であった。

2014-11-19 10:27:29

コメント(0)

平成26年3月

平成26年3月28日
サル以下ばかり


 年度末になり、立て続けに送別会があった。親しくなった人が転勤で離れてしまうのは、
毎年の恒例とはいえ、少しセンチになるものである。

 つい、酒を飲みすぎてしまうのも、毎年の恒例か。ただ、肝臓のアルコール処理量と所要
時間は、逓減していたのが、ここ数年、急激に衰えたような気がする。
 分かっているのに、つい呑みすぎてしまい、二日酔いになって、翌日、大変苦しく、不快な
思いをするのは、人間の性なのか。

 ところで、昔、あるテレビ番組で、二日酔いの実験をしていたことを思いだした。
 それは、サルに美味しいものを食べさせ、その中にアルコールを仕込んでいる、というもの
だった。
 案の定、サルは二日酔いになり、大変苦しい思いをしていたようだった。

 そして、翌日、その美味しい食べ物(今回はアルコール抜き)を、与えようとしたら、サルは
歯をむいて、怒りをあらわにしていた。「そんなものを食べさせたら、ただじゃおかないぞ。」
と言わんばかりの、凄い剣幕だった。

 これが、一度、痛い思いをしたら、同じ過ちを繰り返さないという学習効果という。このサルに
は、きっちりと学習効果が表れていた。

 嗚呼、サルでも、学習効果があるのに、人間には何で学習効果がないのだろうか。 はっきり
言ってサル以下ではないか。

 そういえば、こいつもサル以下、あいつもサル以下、みん~なサル以下。

 嗚呼、サル以下人間の何と多いことよ。
 

 


2014-03-28 15:32:08

コメント(0)

平成26年2月

平成26年2月21日 
日本人って、やっぱり素晴らしい

 この度の大雪で被害に遭われた北関東甲信の方々にはお見舞い申し上げます。

 南国に住んでいると、雪の怖さというものが実感としてイメージ出来ないのだが、被害は
相当なものだったようだ。

 孤立する集落があったり、幹線道路で何日も立ち往生する車がでたり、雪の重みで屋根
が崩落したり、と本当に大変なことだと思う。

 しかし、そんな過酷な状況の中、心がホットするような話がある。

 立ち往生した車の運転手が、皆、コンビニに食べ物を買い求めに行ったが、デリバリー
がないため、圧倒的に品不足だった。
 そんな状況の中、数少ないおにぎりを、先に買った人が独り占めするのではなく、見ず
知らずの人達と分け合ったということらしい。
 また、パンの配送車が、状況を判断して、配送していたパンを、皆に分け与えた、という
ことらしい。

 これを聞いて、日本人って、やっぱり素晴らしい、と心から思った。また、自分が同じ立場
だったら、こんなこと出来るかなあ?と思って恥じ入った次第である。

 こんな話を、今、とやかく言われている道徳教育の教科書に載せて皆で議論したら、意義
深いことだと思うのだが。決して、特定の価値観に基づく偉人伝でなく、普通の人達の立派
な行ないとして、大きな教訓になると思う。

 蛇足ながら、豪雪の中、道で数日間も立ち往生、そして食料の逼迫という状況に置かれた
場合、もし日本人でなかったならどうなっていただろうか。

 おそらく、隣国の人なら、一人で買い占めて、もし欲しかったら、通常の10倍価格で売ると
か、あるいは、誰がが分けて欲しいと懇願してきたら、実力行使で排除したかもしれないなあ。
はたまた、自然災害に対して仮想の原因をでっち上げて、誰彼のせいであると声高に叫んで
フラストレーションの捌け口を求めてシュプレヒコールを行なっていたかもしれないなあ。

 地球の裏側の国の人なら、おそらくお祭り騒ぎで、コンビニやパンの配送トラックを襲って
略奪を行なっていたかもしれないなあ。

 本当に、日本人って素晴らしい道徳観を持っているなあ。




2014-02-21 10:28:09

コメント(0)

平成25年12月

平成25年12月11日
アンパンマンの歌を、現代の教育勅語に

 孫を連れてドライブした時、BGMでアンパンマンを聞いていた。
2歳10ケ月の孫が、一緒になって大声で歌っていた。

何気なく聞いた、その歌詞に驚愕!

 「何のために生まれて、何のために生きるのか、
  答えられないなんてイヤだ。」

 「何が君の幸せ、何をして喜ぶ、
  解らないで終わる、そんなのはイヤだ。」

 思わず身震いした。
 何て深い詞なんだ。

 これを子供が歌っているのだ。現代版の「教育勅語」と言えよう。

 会津では、小学校で「什の掟」(NHKドラマの八重の桜で有名になった
「~ならぬものはならぬものです」で結ばれる武士道精神)を唱和して
いるらしいし、萩では、小学校で吉田松陰の言葉を朗唱しているらしい。
おそらく、子供たちの精神的バックボーンになっていくのであろう。

 だが、それ以外の地方では、私立学校は別として、少なくとも公立の
小学校では、それらしきことは教えられていないと思う。

 でも、人間、一番大切なこと、背骨となることは、この「何のために生きる
のか」を、もがき苦しみながら求め、それを掴んでからは、その目的を
達成するために、自分流の理想=夢の実現に向けて努力していくことに
尽きると思う。

 その「何のために生きるのか」の答えは、正解や統一の答えはないから、
答えを教えるものではないし、教えれえた知識レベルでは、すぐフラつく。
要は、自分で掴むしかないのだ。

 だが、その「何のために生きるのか」を求めることの大切さを諭すことは、
一番大切な教育だと思う。実際、これがわからないまま、年を重ねてしまう
のが大半なんだから。(私も、恥ずかしながら、50歳を超えて、やっと掴み
かけたような気がするのだ。)

 教師や他人から与えられる知識レベルのことは、基礎能力と努力で吸収
できることが大半だと思うが、生き方は、そうではない。だからこそ、大切
なんだと心底思う。

 アンパンマンの歌詞は、ぜひ、聞くに値する。




平成25年12月3日
Where have all  the children gone?    子供たちはどこへ行った?

 どこの地方都市でもみられる現象とは思うけど、徳島では、子供の数が
めっきり減ってしまった。中でも、街から消えてしまったようだ。

 昭和の時代には、放課後の小学校では、必ず子供たちが、ドッジボールや
鬼ごっこ、さらには、子供たちが自分たちで開発した遊びで、思いっきり遊ん
でいた。5時くらいになったら、やっと放送で「家に帰りましょう」といったアナ
ウンスがされていたように思う。

 あるいは、住宅街には、狭いながらも必ず公園があって、野球を筆頭に、
いろんな遊びに興じたものだった。公園の遊びでは、学年が違う子供たち
が一緒に遊び、学校とは異なる社会勉強をしていたのでは、と思う。

 ところが、最近は、放課後の学校は、万一、怪我をした時に、学校の管理
責任が問われるので、授業終了後、すぐ帰宅することを強制される。
 公園は公園で、年寄りの集会場となって、うるさい子供たちは排除され、
ボール遊びなど言語道断である。

 これでは子供たちは一体、どこで遊べば良いのだろうか。

 リタイヤ世代に対しては、今まで、社会を支えてくれたことに尊崇の念を
もって、敬うことは当然のことである。


 だが、国の将来を支えるのは、この子供たちである。

 When will  they ever  learn?

 いつになったら分かるのだろう?
 

 



 

 

2013-12-12 16:25:32

コメント(0)

平成25年

平成25年9月6日
「矛盾の話」

  
先日、某テレビを見ていたら、日本の地方の山村のレポートをしていた。

 この地方は極めて高齢化・過疎化の進んだ限界集落で、未だに、囲炉裏やかまどがあったり、萱葺き屋根
の民家があったりする。そして、その民家で、レポーターが一泊体験のレポートをするというもんだったのだ。

 裏の畑で取れた作物を食べたり、棚田での農作業を体験するシーンがあった。
 TV局特有の、ディレクターの予め想定されたストーリーに沿ってデフォルメされた内容ではあったが、確か
に昭和40年前後には、徳島の西部の農村地帯にも、こんな萱葺きの家が、結構あった記憶があるので、
そのイメージは、かなり近いかもしれない。

 あの頃に比べたら、今の暮らしは、格段に便利になったというのが正直な実感なのだ。

 しかし、そのレポーターときたら、私こそ日本の知性ですと言わんばかりの顔で、「失われてしまった日本
の原風景は残してもらいたいものですね。」と言っておったのだ。

 そりゃ、都会から、たまに山村の限界集落にやってきて、2~3日生活するには楽しいかもしれないが、ずっと
ここで不便な生活する年寄りの気持ちにもなってみろ、と言いたかったのは、一人や二人ではないと思うのだ
が。

 そう言えば、ガラパゴスはじめ、世界の秘境の自然を守りましょうと言っている連中が、そこに入っていくこと
で、その自然を壊しているらしい。

 全く世の中、矛盾が多いなあ。

 ラーメンを食べて、ハッピーになろう。
 嗚呼! ハフハフの幸せ。
                                                             by    韓非
 
平成25年6月19日
「未だ我、木鶏たりえず」

 先日、京都大学名誉教授の講演会を聞く機会があった。
 現在の日本の混迷の原因と、その解決策という内容だったが、歴史、宗教、社会、国際比較、憲法、法制度、
経済価値観、安全保障等からの実に精緻な分析で、感銘を受けたのだ。

 大切なのは、国としてのアイデンティティー、理念の明確化と共感、ということだった。ドラッカーへの再評価
以後、経営の世界で言われているミッションの明文化と同じかなあと思った。

 講演会の後のパーティーでは、友人と、その分析の深さ、鋭さについて驚嘆し合っていた。「マスコミのような
皮相な分析と、偏狭な価値観に基づく論理展開とは、レベルが全く違うなあ」と、つい口に出そうになったのだが、
すぐ横に、新聞社とTV局の人間がいたので、流石に発言するのは控えたのだ。

 最近、何の分野でも、少しだけ勉強して、いっぱしの専門家気取りで嬉しげに、文章をブログ等に書いたり、
素人がTVのコメンテーターとして発言して天下に大恥をさらしたりするのをよく見るけれども、やっぱり、生兵法
は大怪我の元と思ったのだ。本物のプロの前では、すぐに馬脚を露してしまうからね。

 そういえば、数年前、グルメで有名な林屋こぶ平(現三平)が、鮨に凝っていた頃の苦い思い出を雑誌に書い
ていたなあ。

 こぶ平が友人と一緒に銀座の鮨屋のカウンターで、あれこれと生半可な薀蓄を語りながら鮨をオーダーして
いたら、真隣の席の初老の紳士が、玉子焼と海老、ヒカリモノを注文した。
 こぶ平は、「なんだ、この素人の爺さんは。玉子や海老のような子供が食べるようなものを注文して。」と思っ
たらしい。

 一度、顔を見てやれと、横を見た瞬間、震え上がったとのこと。そこには、江戸文化研究の世界ではかなり名の
知られた、鮨通としても高名な粋人が座っていた。

 その粋人は、「若いもの、寿司というものは。そんなにしていただくもんじゃないぞ。」ということを、口で教えるの
ではなく、自然に諭そうとしていたのだろうと思ったということだった。.

 こぶ平は、一瞬にして、自分の浅はかさに赤面して、以後、生半可な知識で薀蓄を語ることをやめたらしい。

 語らずに背中で教えた「粋人」も偉いけど、それを悟ったこぶ平も偉いなあ。こんな成熟した精神を持った大人
ばかりの世界なら、物事は全て上手くいくだろうな。

 考えてみたら、自分も、最近、本業以外のことで、評論家みたいに、人のことを批判したり、人にケチを付けて
ばかりしていたような気がするのだ。マイナス波動ばかり出ていたような気がする。

 しかもその論拠たるや、素人の浅はかさの典型。 生兵法は大怪我の元。  

 嗚呼! 恥ずかしい、恥ずかしい。

 未だ、我、木鶏たりえず。
                                                                   by 双葉






平成25年1月3日
「初日の出」

 いろんなことがあった平成24年に別れを告げて、平成25年に「よろしく」って挨拶しようと、初日の出を
拝むことにしたのだ。

 南阿波サンラインっていう徳島の東海岸で、真っ赤な大きな太陽に向かって、「世界平和と五穀豊穣」を願って
拝んだのだ。たまには崇高な気持ちになりたかったから。

 南阿波サンラインは、背面の西側が険しい山に遮られ、東南の方の海に向かって開けたところ。紀伊水道から
太平洋が一望できる、実に風光明媚なところなのだ。

 その時、一緒にいた参拝者から一言。

 「日の出がこんなに綺麗なのだから、水平線に沈む夕陽も同じくらい綺麗だろうなあ。夕方、もう一回ここに来て、
沈む夕陽を見てみたいなあ。」

 そういえば、この場所の朝日の美しさは、いろんな評判を聞くけど、夕陽の美しさは、一度も聞いたことがないなあ。
新しい発見なのかもしれない。

 なにせ、東に向かって開けたところなのだから。

 嗚呼! ハフハフの幸せ。

2013-12-03 16:52:19

コメント(0)

平成24年

平成24年8月2日
「橋の思い出」

 徳島平野を東西に流れる大河、四国三郎こと「吉野川」の最下流に新しい橋が建設され、先日、供用開始となった。
渋滞緩和と津波からの避難場所という重要な使命を担う橋なのだ。近い将来、徳島環状線という道路をつなぐ大動脈
になるのだ。名前を「しらさぎ大橋」と言う。

 だが、これが、橋を徳島方面に下りたところで、2車線が1車線に減るため、ここで大渋滞が発生してしまった。当初
の目的を充分果たせていないようなのだ。供用開始のタイミングの判断は難しいものなのだなあ。

 吉野川の橋の話になったので、昔の東京での橋のエピソードを書いてみよう。

 今から30年くらい前、東京の友達と、東京から車2台に分乗して、長野県まで遊びに行ったことがある。その途中、
山梨と長野の県境くらいにさしかかった時、東京の友達連中が、ここに珍しいものがあるから記念撮影しようと言い出
した。
 こんな山の中に、どんな名所があるんかと思たら、な、な、なんと、単なる「潜水橋」じゃないか。

 これは、沈下橋といい、台風等で川が異常増水しても、橋の欄干がないから圧力がかからずに、流失する可能性が
低い、また建設コストも安い、云々~。

 少しだけ知識のある奴が高いテンションで、悦に入って説明してくれた。

 こんな橋、徳島にはいっぱいあるので、そんなことは百も承知なのだ。だが、みんなは、珍しい、珍しい、とえらく感動
していた。

 「こんなもの、徳島に来たら、吉野川には、いっぱ~い、架かっている。ごく普通にあるから、何も珍しくない。田舎の
方では小学生の通学路にもなっている。」

 友達連中は、徳島っていうところは、そんな凄いところかと、たいそう、感動しておったのだ。
 嬉しいやら、恥ずかしいやらの、少し複雑な気分になってしまった。

 あれから30年、吉野川には、どんどん新しい橋が架かり、「潜水橋」の数もめっきり減ってしまった。でも、自宅近く
の園瀬川には、まだ「潜水橋」が残っているのだ。

 「嗚呼! 徳島万歳!」


平成24年3月24日
「嗚呼 老いたり」

 製粉会社から新作の小麦粉をテストしてとの依頼があった。新作の方が、徳島ラーメンの味が、アップするはずと
の提案だった。
 早速、この小麦粉をテストすることにした。ただし、試食段階で先入観が入らないようにするため、ミキシング担当
者のみに変更の内容を伝えた。それ以外の者には、変更を一切、知らせなかった。

 そして、出来上がった商品を試食してみることにした。
 参加メンバーは、商品企画担当者、営業担当者、そして、一般社員有志。

 従来品をリードサンプルとして、新作を同時に食べて比較することにした。
 「みんな、食べてどう思う?」

 全員が、新作も、従来品も差がないという。やはり、そうか。この微妙な違いを感じることが、若手には分からない
のか。
 やはり経験の差というものは、大きなものなのだなあ、と、納得した。

 「みんなは、まだまだ経験が不足しているけど、心配せずとも、あと10年もしたら、この違いが分かるようになる。
慌てずに、じっくり行こうな。」

 そう言ってて、みんなに語りながら、少しだけ優越感に浸っていたのだ。

 新作小麦で少し味がアップしたので、原価の条件さえあえば、変更してもかんまないかなあ、と思っていた。
 そして、念のため、ミキシング担当者に、作業性の差異について意見を聞いてみた。

 「従来品と比べて、練り易さに優位な差はあったかなあ?」

 そしたら、ミキシング担当者曰く、
 「あ、テストするの、忘れてました。」

 「ガ~ン!」 
 そしたら、全く同じものを食べて、優劣を付けていたということなのか。そして、若手には分からない微妙な差を、
自分だけが分かると勝手に思い込んで、自己満足の法悦に浸っていたわけなのか。

 嗚呼! パパ老いたり
 
 
平成24年2月11日
「東京の駅と大阪の駅」の巻

 東京都と並んで、大阪を大阪都にするという議論をよく耳にする。でも二つの都市はカルチャーが大きく異なる。

 30数年前に、大阪のルールが東京では通用しなかった話を紹介しよう。

 30数年前、徳島から大阪にく時、小松島港からフェリーで和歌山港まで行き、そこから南海電車で難波まで行く
ことが多かった。

 そして、当時の難波は、今でもそうだけど、国鉄難波駅と南海難波駅とは、場所が離れていた。和歌山にしても
南海線と国鉄の駅はかなり離れていた(今でも離れたままなのだ。)。

 だから、大阪で遊んでから、難波までタクシーを使う場合には、行き先を難波駅と言ったなら、必ず、国鉄か南海
かを聞かれたものだった。和歌山でも同様。ついでに奈良に行った時も、国鉄か近鉄かを聞かれてものだ。

 したがった、それが常識になっていたのだ。

 それが東京では違った。渋谷で遊んだ時のことだった。

 その時は青山から神宮外苑、表参道、原宿あたりを散策し、東京の風に吹かれたのだ。文化人になったような気
がしたのだ。
 言葉も、東京弁を使いたくて仕方がなかった。
 「ほなけんどさ~○○」

 その日は、東横線沿いにある親戚で泊めてもらうことになっていたので、東急の渋谷駅まで行くため、タクシーに
乗った。
 「東急の渋谷駅までお願いします。国鉄の渋谷駅でないからね。」
 そしたら、運転手さんが怪訝な顔をした。

 何で怪訝な顔をしたのかなあという疑念は、すぐ晴れた。
 そう、渋谷では国鉄も東急も同じ駅だったんのだなあ。ついでに新宿も国鉄と京王は一緒だった。ついでに品川も
国鉄と京急が同じ駅だった。

 これは大発見と、思ったものだった。




 ついでに鉄道にまつわる失敗談をひとつ。

 東京で生活を始めた最初の頃、東急東横線に乗って自由が丘から渋谷まで行くことがあった。

 ホームには各駅停車が止まっていた。そこへ急行がやってきた。時間に余裕はなかったけど、急行料金を払ってま
で急ぐことはない、と考えて、急行をパスして、各駅停車の方にに乗ったのだ。

 そしたら案の定、渋谷での待ち合わせに少し遅れてしまった。言い訳に、このことを話したのだった。そしたら皆が
 大笑い。

 一体、どうして皆が笑うのか、その時はわからなかった。

 この話を最近になって徳島でしたら、学生時代を大阪で過ごした友人も、阪神電車で同じことをやって、同級生に
大笑いされた経験があるらしい。二人して大笑いした次第なのだ。

 田舎者、丸出しだったのだなあ。

 だけど、ラーメンは、東京や大阪よりも、絶対に徳島の方がレベルが高い。これも友人と意見が一致した。

 嗚呼! ハフハフの幸せ。

2013-12-03 16:51:11

コメント(0)

平成23年

平成23年9月10日
「傷だらけのローラー」の巻

 製粉会社主催の講習会で多加水ラーメンの作り方を勉強してきた。

多加水、すなわち小麦粉と混ぜる水の量を多くして真空ミキサーで練る、ということなのだ。作ったものを試食したら、
確かにコリコリして美味しい。だが、少し、スープのノリが悪くならないかなあ。

 折角勉強してきたから、多加水麺を試作してみた。試食してみたら、これが結構スープのノリが良かった。
 こいつは面白いと思って、正式の製造ラインの圧延ローラーで延ばしてみたのだ。充分熟成させてから食べてみた
ら、

 あれ? スープがあまり乗らないなあ?

 翌日、同じミキサーで練ったものを半分にして、片方は正式の圧延ローラーラインで延ばし、もう片方はテストライ
ンの圧延ローラーで延ばしてみたのだ。

 そしたら、スープのノリが二つで全然、違うではないか。
 Why? Why?

 翌日、同じように作ってみた。そしてテスト品を作った後、圧延ローラーを拭き掃除した。

 そしたら、なんと、
 テストラインの圧延ローラーが、ザラつくではないか。

 そう。表面に小さな傷が一杯ついて、麺の表面に目に見えない、小さな穴を作っていたのだった。これがスープの
ノリを良くしていたのだった。
 
 これが本当の「傷だらけのローラー」なのだ。

 でも原因が分かって、
 「パパ、   カンゲキ~!」
                                                                   by 秀樹

平成23年3月2日
ラーメンなぞかけ

巷ではWコロンのなぞかけが流行っているようだ。
昔は、なぞかけは小咄と呼んでいたような気がする。でも、これが結構、脳トレに
なるのだ。

 それではラーメンなぞかけを少々。
1)札幌ラーメンとかけて、上等の毛蟹と解く。
  そのココロは~?

  整ったかな?

  そのココロは?
               
  どっちも、ミソが美味しい。

2)博多ラーメンとかけて、真犯人に身代わり出頭すると解く。

 そのココロは?

 そのココロは、

 どちらも替え玉です。

3)久留米ラーメンとかけて、年増の化粧と解く。

 そのココロは~?
  
 そのココロは、
 
 滅茶苦茶、濃い。

 お後がよろしいようで。


平成23年2月1日
「健康オタク」の巻


 旧友が10年ぶりに訪ねてきた。
 この友人は、若い頃、保健所に勤務した後、今は、大手スーパーの衛生管理のセクションで働いている。健康管理
にも相当造詣が深く、自分自身の健康も相当、気を付けているようなのだ。

 ありきたりの挨拶を済ましたら、血糖値がどうの、HDL、中性脂肪がどうの~云々、と言い出した。それで、その話が
止まらない。正に悦に入っていた。。
 あんたは医者なのかい?

 せっかく出してあげたコーヒーも飲まずに、出来たらお茶にして欲しいと言い出す始末。
 まさか、と思って聞いてみたら、ラーメンなんか10年間食べたことがないとのこと。うどんにしても、スープを半分残し
て、塩分を控えているのだとか。
 その他、腹八分目、野菜中心、肉は2週間に1回で、蛋白源は、豆類か焼き魚で採っているとのこと。その他、やれ、
何とかいうサプリがどうのこうの~云々。

 おかげで体調は、すこぶる良く、20年間体型も変わってないとのことなのだ。
 そりゃ、これだけ節制して、サプリに金をかけて、健康でなかったら~。

 まあ、常人には到底、真似できないと悟った。

 と、こんな具合で、友人の話をず~と、聞かされたのだ。完全に友人のトークショー状態だった。
 そして、ちょっと間があいた時、くだんの彼曰く、

 「あの~、申し訳ないけど、この部屋でタバコを吸ってもかまわないのかなあ?」

 嗚呼~!


平成23年1月7日
「飛行機の思い出」の巻 

 さて、今年の初夢は、若い頃、羽田行きの飛行機に乗った時の甦ったトラウマだった。

 今から30数年前、徳島・東京間はジェット機ではなく、プロペラ機のYS11が就航していた。そのYS11が小さいから、
チェックイン時に乗客に体重を聞いていた。
 多分、飛行機の左右のバランスを取って安定させるためのものだったのだろうけど、その頃は、個人情報保護は
勿論、プライバシーの侵害という概念も薄かったかも。

 その時、かなり恥ずかしい思いをしたのだ。カウンター係が、ちょっとだけ美人だったので、その恥ずかしさはかな
りのもの。

 相当に揺れる上空で、恥ずかしさから、「よし、絶対に痩せてやる!」と決意したのだ。

 羽田に到着してから、この決意を確固たるものにするため、東京の友達に片っぱしから電話をして、やっと5人集
めて、銀座ライオンに集合してもらった。

 そこで宣言した。「今日から痩せることを真剣に考える、生まれ変わるのだ。」

 親友が音頭を取ってくれた。

 「減量の成功を祝して乾杯!」

 その時の生ビールとから揚げの、それはそれは美味しかったことよ。

 嗚呼~!




2013-12-03 16:36:35

コメント(0)

平成22年

平成22年8月2日
「病院の鏡」の巻 

 親友が入院したとの報を受け、早速見舞いに行った。
 病気でなくて、怪我だったので、何を食べてもいいと思って、「ショートケーキ」を持参した。 

 大きな病院なので、病室に行くのは、エレベーターに乗る必要があった。
 病室は7階。、歩くのはちょっとね。

 その時、何気なく、エレベータに貼ってある大きな鏡を見た。
 そこには、醜く膨らんだ我が姿があった。日頃見慣れた我が姿より、2割くらい太めにに映っていた。

 ああそうか、このエレベータは、入院患者も利用するから、少しでも元気に見えるように、太めに映るように工夫が
してあるのだなあ。さすが大きな病院は、患者の心理まで考えているなあ、心から感心し納得したのだ。

 親友の怪我もたいしたことなく、安心して、見舞いに持参したケーキを一緒に食べながら、わいわい話しをした。

 その日の晩、風呂に入った時、浴室の鏡に我が姿が自然に目に入ってきた。

 その姿にパパは愕然として言葉を失ったのだ。

 昼間、病院のエレベータに映った我が姿と同じではないか。

 病院の心理作戦と感心していた2割程度膨張する鏡は、全く普通の鏡だったのだ。

 「鏡よ鏡、鏡さん~」  

  嗚呼!  
                                                                 by 白雪姫 
 
平成22年6月10日
「入院患者のヒエラルキー」の巻 

 永年の大酒、煙草、不摂生が重なり、人間ドックで異常な数値が出てしまい、2週間の検査入院となってしまった。
 自覚症状は全くないから、一日中退屈極まりない。自ずと向かう先は、患者専用のサロンになる。

 そこで自己紹介をして仲間に入れてもらった。
 最初は分からなかったが、3日くらいしてから、入院患者に、はっきりとした序列があることがわかってきた。

 それは、どうも検査数値の悪い順番に、横綱、大関、関脇~と続いとるようだった。

 おかしな価値基準があるものだ、と驚くとともに、ちょっと待て、と思ったのだ。

 そして、先生に、
 「こんなところで居たら、病気になってしまうから、早く退院させて。」

 そしたら、先生曰く。
 「あんたは、立派な病人です。」

 嗚呼!

2013-12-03 16:33:52

コメント(0)

海外編

平成25年2月9日
「韓国編 ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」

 
日本の総理大臣が安部さんに交代し、期待感が大きいのか、円安株高の傾向になってきている。

 お隣の韓国でも、新しく朴槿惠が大統領になる。新大統領の父君は、日本の陸軍士官学校の卒業生
でもあり、親日家の朴正熙だったので、日韓関係が一時のように良好になることを期待するなあ。

 まあ、内政が悪くなれば、反日で国民のフラストレーションを発散させるというお決まりの手法を使う
かもしれないけど。

 そういえば、半年前の秋に韓国に行った時、現地のバスガイドから聞いた話がある。

 朴正熙大統領時代、ソウルと釜山の間に高速道路を通し、北との有事の際には、飛行機を飛ばせる
滑走路にも転用できるものにしようとしたらしい。
 ドイツのアウトバーンを真似てのことらしいけど、その用地買収が僅か半年で完了したということに驚
いた。


 もし、日本だったなら買収に何十年かかるだろうかな。

 日本から一緒に行った友達と、そんな話をしていた。

 みんなで半ば自虐ネタ的に、
 「そら、30年はかかるかな。」

 「そして、その道は曲がりくねって飛行機が飛ぶことは無理だろうな。」 

 「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロードだろうな。」

 みんな、苦笑いしたけど、暫くして冷静に考えると背筋が凍るような気がした。

 日本は、他国と陸続きでなくてよかったなあ。

 でも、少しは、日本の安全保障問題も考えなければならないだろうな。

 ソウルでカクテキを食べながら、そう思った。
 



平成24年1月10日
「日本人であることを実感した時」

 自分が日本人であることを意識することは滅多にないが、海外に行った時に、,少しだけ意識すること
がある。

  今から20数年前、約2週間のアメリカ流通セミナーに参加した。これが、中西部で話題になりかけて
いた「ウオールマート」を中心に見学するものだった。

 セントルイス、カンサスシティ、シンシナティ、etcと、ほとんど日本人のいない地域ばかり。

 当然、日本食どころかチャイニーズさえ無い土地柄。10日を過ぎた頃には、無性に日本食が恋しくな
った。

  そんな時、一緒に参加していたメンバーが、唐突に喋り出した。
 「ここから、砂漠を車で2時間走ったら、日系人の経営するレストランがあるらしい。そこでは、レストラン
用の高級日本食でなくて、家庭料理のような日本食を出すらしい。」 

  皆が、注目し始めた。

 「炊きたての白いご飯に、かつおの出汁がプ~ンと香るわかめの味噌汁、お新香まで提供するらしい。

 さらに一品には、出汁巻き玉子か冷奴がチョイス出来るらしい。それと、ご飯はおかわり自由だって。」 

 皆がごくりと唾を飲む。 

 「そして、メインの焼きたてのサンマが出てきて、その上におろし大根をかけて、上から醤油をかけると、
ジューッていう音までするくらい熱々なのだ。オプションだけど、この熱々さんまに上から搾るスダチまで
あるのだ。」  
  
 皆、よだれを垂らし始めた。 
                                  
 「よし、2時間くらいなら、割り勘で車をチャーターして皆で行こう。」  
 「行こう行こう。」 
 「絶対に行こう。エイエイオー!」 
 と、歓喜の声が上がった。

 いい加減話が盛り上がったところで、その男曰く。 
   
 「ここは中西部の砂漠のど真ん中だぞ。そんなものあるわけないだろうが。ジョーク、ジョーク。」

 「・・・・・・・・・・・・・・・」

 その後、その男がどんな扱いを受けたかは、想像に難くない。

 それから3日後、帰国の途に着くために、ロサンゼルスへ到着した。皆、一目散にファーストフードの
「うどん」へと走った。おそらく、メキシコ人のアルバイトが作った、十分に茹で戻されていない、不自然に
固いうどんではあったが、皆、むしゃぶりついていた。

 皆、やっぱり日本人なんだなあ、と思った次第。

 嗚呼! ハフハフの幸せ。


平成23年11月1日
「ハワイの時間のセンス」の巻

 何年振りかでハワイに行ってきた。本当にノンビリできるところなのだなあ。

 お決まりの観光コースの後の3日目、やっと自由行動になったので、ホノルルのしゃぶしゃぶに行った。
ウエイトレスは全員、アジア系で着物姿だったけど、日本語は少し苦手のようだった。何か違和感を感
じたのだ。

 そして、そこで、日本では考えられないようなシーンを体験することになった。

 事前にコース料理を予約していたので、でメニュー選びはなかった。そこですぐにビールを注文したの
だが、これが中々来ない。
 料理を食べ初めて5分位してから、やっと持ってきた。

 当然、ビールの次のオーダー、焼酎はオーダーしてから10分以上経ってからしか来ない。一時が万事、
こんな、のんびりした調子だった。

 そうか、相手がそうなら、こっちにも考えがある。

 そうだ。お替りの分も最初から一緒にまとめて頼めばいいんだ。

 そこで、「焼酎3杯お願い。」と頼んだ。一緒にいた友人も同じように、「焼酎2杯」と頼んだのだ。

 案の定、焼酎は中々来なかった。その内、料理もラストに近づき、デザートのチョイスを聞きに来てくれ
ると同時に、今頃になって、焼酎が、合せて5杯やってきた。

 「ええ加減にしろよ。」と言いたくなったけど、ここは世界でも最もノンビリしたハワイ。
 日本式の方が、少しばかり、せっかちなのかなあ、と思い直した次第なのだ。

 でも、肉は結構な量があって、美味しかったなあ。

 嗚呼! ハフハフの幸せ。


平成23年4月30日
「オール・ジャパン」の巻

 今回の東日本大震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、被害にあわれた
方々に、心からお見舞い申し上げます。

 先週、福島県相馬市で、勝手にボランティア活動に行き、支援物資を届け、餅つきをしてきたけど、
みんな、喜んでくれたと思う。

 その時に思ったけど、避難所では、極限状態に近い精神状態であるにもかかわらず、統制と秩序が
保たれていたのを見て、本当に驚いた。東北人のメンタリティーは、噂通り、忍耐強いなあ、と心から
思った。

 外国での報道でも、日本人の道徳規範の高さや、忍耐力の強さに、驚嘆・賞賛の声が上がっている
けれど、正に同感なのだ。
 そして、次から次へとボランティアの人達が訪れていた。義援金も、かなりの金額が集まっていると言う。

 これが外国人には理解できない「オール・ジャパン」の精神かもしれないなあ。見方を変えたら、ある種
の外国人(特に近隣2ケ国)にとっては、オール・ジャパンのセンスは、自国を脅かすものと映るかもしれ
ない。

 何とか、このセンスをぶち壊そうと、反日教育とかメンタリティを壊すため、いろんな理由をつけて教科書
への干渉をするのは自然な動きなのかもしれない。


 オール・ジャパンと言えば、30人の団体で20年前にアメリカに行った時のことを思い出した。
   
 レストランでの夕食時に、10人づつ、3テーブルに別れて座った。食事メニューは、前もって全員同じもの
を予約していた
 が、飲み物だけは、各自好きなものを注文して、各自で個別に支払い、ということだった。

 ウエイトレスが飲み物だけのオーダーを聞きにきた。

 隣のテーブルでは、

 [ユー?」 「ビアー・プリーズ」  
  
 「ユー?」「ティー・プリーズ」 「ビアー・プリーズ」  

 「ユー?」 「ビアー・プリーズ」

 一人づつ聞いて、お金の受け渡しをしていた。面倒くさいし、時間がかかる下手なやり方だなあと思った。
もっとテキパキやれよ。

 そこで一計を案じた。

 ウチのテーブルの10人は、全員アルコール大好き人間だったので全員の分をまとめて注文しよう、という
ことで話がまとまった。一人2本づつのビール、ということで、先に2本分の5ドルづつ、10人分を集めて50ドル
にして、ウエイトレスが来るのを待っていた。

 やっと、ウエイトレスがやって来て聞いた。

 「ユー?」

 「20ビアーズ・プリーズ」

 ウエイトレスは聞き返した。 

 「20ビアーズ? ユー?」

 「イエ~ス・オフコース」

 目が点になったウエイトレス。 

 「ユー・アー・クレイジー!」

 ああ、そうか、ここは個人主義の国アメリカ。 
 日本人なら誰でも分かる、テーブルでまとめて何本、というセンスはアメリカ人には通用しないのかなあ。


 平成22年8月28日
「香港・マカオ紀行」の巻 

 超円高の今、親友7人で、香港・マカオに行こうという話が出来た。
 
 気心知れた親友ばっかりなので、事前打ち合わせも順調に進んだのだが、一つだけ、意見の合わない
ところがあった。

 それは、マカオと香港の間の高速船が、物凄く揺れるので、乗り物酔いするメンバーには無理があるので
コースを変更しようと、阿部君が主張して譲らない。

 侃侃諤諤の議論の末、多数決で、ベースキャンプをマカオにして、高速船に乗って日帰りで香港に行こう
ということに決まった。
 阿部君は、かなり不服そうだった。

 マカオではカジノで、少しだけプラスを出し、その資金で香港の中華料理を満喫しようということになった。

 さて、問題の高速船は、ほとんど揺れずに、無事香港に着いた。

 皆が一斉に、阿部君に対して、「大したことないではないか。」と呆れた眼差しを向けた。

 市内観光をして、夕食は中華料理の宴。まずはビールでのどを潤して、次は紹興酒と思いオーダーしよう
としたら、なんと、メニューに載っていない。不思議に思い、ガイドに説明を求めたら、香港では上海と異なり、
殆ど紹興酒は飲まないとのこと。

 そう言えば、昼に見学したデパートでも、やたらワインが陳列され、紹興酒はなかったな。日本でも「ところ
変われば云々」なのだから、ずっと広い中国では、当然かもしれないなあ。

 料理は、海鮮を中心に、かなり美味しかった。本場はやっぱりレベルが違うのだ。美味しいものを食べたら、
幸せな気分になるなあ。


 カジノで負け、高速船の件では皆に悪口を言われ、大好きな紹興酒が飲めなかった阿部君は、かなり
ご機嫌斜めだったけど、残りのメンバーは本当に楽しませてもらって、気分は最高!

 宴を終えて、ベースキャンプのマカオに向けて、最終の高速船で出発進行! 楽しかったことをワイワイ
ガヤガヤと盛り上がったいたけど、阿部君だけは、相変わらず、ご機嫌斜めだった。

 その時だった。高速船が急に大きく揺れだしたのだ。その大きな揺れは、1回や2回でなく、断続的に続い
た。

 メンバーの中には気分が悪くなる奴もいた。

 嗚呼、楽しかったことが台無しになるかも。

 そしたなんと、さっきまでいじけて、元気のなかった阿部君の顔が、みるみるうちに嬉しそうにニコニコして
きたではないか。

 そして、誇らしげに元気良~く一言。

 「ね、僕の言った通りでしょ。」

 嗚呼! ハフハフの幸せ


平成22年3月29日
「アメリカでの失敗談 VOL1」の巻 

 アメリカ流通事情セミナーに参加した。

 到着した日の夕食はステーキ。
 その巨大サイズと値段の安さにはたまげた。だって、夕食代はツアー料金に含まれているのだから。

 That hit the spot. I'm so full.

 翌日は、終日、見学に出かけるので、朝のうちに夕食を予約するシステム。 ビーフとチキンのチョイスだっ
た。
どっちでも値段は一緒。
 
 その時、思った。
 ビーフが、あんな凄い量なんだから、同じ値段でチキンなら丸々1匹、ひょっとしたら2匹出るかも。

 当然、チョイスはチキンだった。

 そして本番。先に巨大なビーフが運ばれていく。  

 Not big, but huge!
 
 唖然とするボリュームなのだ。これはチキンはかなり期待大なり。

 そしてチキンが来た。 

 そして、一瞬凍った。

 何なのだ、このジャパニーズ・サイズは?


 状況を理解するのに時間は必要なかった。

 アメリカではビーフは日本と比べて滅茶苦茶安いけど、チキンは、日本とあまり変わらないのだ。

 嗚呼! 


「アメリカでの失敗談 VOL2」の巻 

 アメリカ流通事情セミナーも終盤。

 流石に肉系の連チャンには辟易としてきた。

 あっさり醤油ラーメンか、うどんが食べたいけど、此処はアメリカ中西部ミズーリー。 そんなもの、あるわけ
ない。

 ところが、見学に行ったショッピングセンターにチャイニーズレストランを発見。

 Heaven helps those who help themselves!

 自由行動時間があまりないため全力疾走で向かった。なにせアメリカのショッピングセンターは滅茶苦茶、
広いのだ。

 ところで、ラーメンって英語で何て言うのだろう。
 あれ?たしかヌードルのはず。

 2杯くらい食べてやれと思い、ヌードル欄にあった五種類のメニューのうち二つをオーダーした。

 オーダー品が来るまでの時間の、それはそれは長かったこと。

 My order has not come yet.

 そしてヌードルが来た。 またもや一瞬凍った。

 何なのだ、これは焼そばじゃないか。ラーメンじゃないぞ。


 その時、思い出した。ラーメンは英語でスープヌードルだった。でも、集合時間までの時間がない。こんな
広いところ、日本語が全く通用しないところに、一人残されたらえらいことだ。

 Oh  my God!

2013-12-03 11:08:50

コメント(0)

国内編

平成25年8月10日
「ラーメン紀行・鹿児島」の巻
 桜島の白煙と錦江湾の絶景が素晴らしい、薩摩鹿児島に行ってきたのだ。

 城山で西郷さん最期の地を訪れ、島津別邸を見に行ったけんど、さすが77万石の大名は、ちと違うなあ。
こんな凄いのは、御三家尾張名古屋の宝物殿以来なのだ。
 鎖国時代から密貿易で国力を高めていた往時が偲ばれるなあ。

 ただ、中国からのPM2.5で、街全体にベールがかかっていたのには閉口した。

 その後、薩摩揚工場での試食と見学、焼酎工場での試飲と見学をした。焼酎工場では足元がふらつくくら
い、いろいろと試したのだ。勿論、ちゃんと、購入もして宅急便で徳島まで送った。

 翌日は、知覧の武家屋敷を見てから、陸軍の特攻隊記念館を訪れた。それはそれは、涙なしでは見学でき
なかった。

 沖縄決戦に向かって飛び立った若い隊員の遺書を読んで、その精神の崇高さに、思わず落涙してしまった。
あんな真似は、生半可は覚悟では出来ないなあ。

 敬礼!

 そして、その晩、鹿児島の夜の街に友達5人と繰り出した。
 目的の1番は、本場の焼酎、そして2番目は鹿児島の郷土料理。

 徳島では聞いたことない銘柄の焼酎がいっぱい置いてあったけど、あまりに多すぎてチョイス出来なかった。

   それで、店の仲居さんに任せたら、これが本当に美味しかった。やっぱり地元の人に選んでもらうのが一番。

 ガイドブックのお薦めや、観光客受けを狙うたもんを選ぶよりも、地元の人の評判、何でもこれが一番正しい
情報のようなのだ。

 だけど、コース料理の中で、刺身醤油が異常に甘かったけど、これは鹿児島風の醤油らしい。それ以外は
充分料理を堪能した。中でも地鶏と、きびなごが格別美味しかったなあ。

 食事の後は勿論2次会。焼酎バーに入った。そこでも絶品の芋焼酎を心ゆくまで味わったのだ。

 そして、〆はやっぱりラーメン。鹿児島ラーメンの店に行ったのだ。九州だから、博多や熊本と同じように、
豚骨の効いた、かなり濃い目の味だろうと予測していたら、これが何と、あっさり系だったのだ。

 確かにベースは豚骨と思うけど、あんまり豚骨っぽさを出していないスッキリ系だった。麺は、かなり白い、
かん水の濃度が低めのもののような気がした。

 もうひとつ、驚いたのは、ご飯を頼んでいないのに、漬物がついていることだった。
 ご飯が欲しくなったけど、ラーメンがあっさり系だったので、まあいいかと思って、ご飯は頼まなかった。

 あれって思ったけど、翌日、鹿児島空港で食べた鹿児島ラーメンも、あっさり系だったので、やはり、これ
が鹿児島のスタンダードなんだんあ。これは意外だったなあ。

 「じゃっどん、オイは、こげんあっさりとは、思いもうはんかったでごわす。」 これが本音なのだ。

 ところ変われば云々。 日本は狭いようで広いなあ。


平成24年12月1日
「ハンバーグカツ定食」の巻
 今から20年前のバブル時代。パパが東京へ出張した時のこと。

 当時、食べ物屋は、大阪では、まず、はずれはないけんど、東京では、運が悪ければ全くはずれの店に入
ってしまうことがあった時代なのだ。

 もちろんレベルの高い店もあるけど、値段だけが、東京の土地代に相応しく高く、味のレベルは、それに全
く追いついていない店も相当数あるのが東京の現実だったのだ。

 そして、たまたま昼食に入った店は、正にその典型だった。普通の喫茶店が、ランチメニューを提供している
店で、食後のコーヒーが100円で飲めると書いてあった。

 これはラッキーと思って、ランチメニューを選ぶことにした。メニューは3種類で値段は、どれでも650円。海老
フライ定食と、豚しょうが焼定食、そしてハンバーグカツ定食だった。

 このハンバーグカツ定食に、ビビっと反抗してしまった。

 だって、他のふたつは単品なのに、これだけは、ハンバーグとカツの2種類が付いているではないか。同じ
値段なら、絶対にお買い得に違いない。

 ルンルン気分で待っている間、先にオーダーしたお客さんに、料理が運ばれている。圧倒的に、豚しょうが焼
定食が多い。東京の人は、肉じゃがでも豚肉を使うというから、余程、豚肉が好きなのだなあ。

 でも、なんで、お得なハンバーグ&カツ定食にしないのだろうな。

 待つこと約5分。やっと運ばれてきた。「ハンバーグカツ定食お待たせしました。」

 お皿を見た。そこには、平らなコロッケらしきものが1ヶだけチョコンと乗っていた。 
                                           
 「あのう、ハンバーグカツ定食を頼んだのだけど。」

 ウエイトレス曰く。
 「これがハンバーグカツ定食ですよ。」

 「これは、どう見てもコロッケ、百歩譲ってもメンチカツにしか見えないのだけど。」

 そしたらウエイトレス曰く。
 「ハンバーグカツとは、ハンバーグをカツにしたものです。メンチカツとも言いますね。」

 ガ~ン。確かに、メニューには、ハンバーグカツとあり、ハンバーグ・カツとも、ハンバーグ&カツとも書いてい
ない。

 嗚呼、早合点だったのか。

 それなら、ハンバーグカツではなく、ちゃんとメンチカツと書いておけよな。
 





平成22年11月15日
「京都紀行」の巻 

 勉強会のメンバー10人で京都へ行ってきたのだ。名刹、名庭園を見学し、今流行りの龍馬ゆかりの名跡を訪
ねた。

 夕食は、お小遣いを貯めて、少し贅沢な料理を食べようということで、祇園のHANA吉兆へ行った。

 さすがに嵐山の吉兆は少し贅沢過ぎるということで、今回はパス。それでも、期待は膨らむばかり。

 .「お越しやす。」という京都弁を聞いて気分は最高。

 料理はコース料理なのだ。それはそれは、松茸等の高級食材をふんだんに使った最高レベル。これを、おそら
く一流の食器で食べる。お酒も洛中にただ1軒だけ残る老舗のものを満喫した。

 大満足して気分までリッチになった。やはり日本の最高峰は、少し違うな。

 さて、食事の後は、先斗町を通り抜け、鴨川沿いを散歩。少し雰囲気のいいワインバーで二次会。リッチな時間
を過ごせたのだ。

 ところが、二次会が終わってから、いつもの癖で、自分の意志とは関係なしに、自然に足がホテルでなくて、ラー
メン店の方へと向かってしまったのだ。周りには、パパと同じ本能も持つメンバーが3人程、着いてきていた。

 看板には京都ラーメン、と書いてあった。みんな迷わず大盛りをオーダー。

 そして、ラーメンが運ばれてきた時、酔った頭が全てを思い出した。

 そうだ。京都ラーメンは、久留米ラーメンと並んで、濃厚な味がウリのラーメンだった。

 メンバーも、京都ラーメンというからお茶漬けがわりの和風のあっさりラーメンを期待していたようだった。
 これで、全てが台無し。ラーメンはラーメンで単独で食べるべきだった。最後の詰めで失敗してしまった。

 「画竜点晴を欠く」 「高名の木登り」 とはこのことなのだ。

 嗚呼、 ハフハフの幸せ。


平成22年10月19日
「山陰温泉紀行」の巻 
 少しだけ涼しく秋らしくなってきたので、気心知れたメンバー4人で、島根県の玉造温泉に行ってきた。
 旅館に着いてからは、プールのような広い露天風呂に入り、気分は最高だったよ。

 そして、いよいよメインイベントの蟹三昧の食事タイム。運ばれてきた皿を見て大満足。どこを見ても、蟹、蟹、
蟹、正に蟹のてんこ盛りだった。

 徳島で友達と一緒に、限られた量の蟹を食べる時には、ひたすら蟹の身を取るのに必死になって一言もしゃ
べらず、会話ゼロ状態のことが多かったけど、これだけの量の蟹が目の前にあれば、ゆっくりと焦らずに、会話
を楽しみながら食べられのだ。

 良い酒、良い料理、良い会話の三拍子が揃い、至福の時を過ごせたのだ。
 やっぱり、本場日本海の蟹は美味しいと思った。

 その時だった。友人が、仲居さんに質問した。「こんな大きな爪の蟹、あんまり見たことがない。やっぱり本場
のものは違うのかなあ。」

 それを聞いた仲居さんが一言、

 「お客さん、お目が高いですね。この蟹は本場カナダ産です。」

 嗚呼


平成22年7月12日
「ラーメン紀行・沖縄」の巻 

 九州のはるか南の地、沖縄に行ってきた。

 大東亜戦争末期、日本で唯一の地上戦となった激戦の地。米軍の「鉄の雨」のような艦砲射撃の凄まじさ
や、断崖絶壁まで追い詰める残酷なモップアップ作戦への徹底抗戦。

 日本海軍大田司令官に最後の通信として、「沖縄県民、かく戦えり、後に格別のご高配を」 と、海軍次官宛
に打電せしめた沖縄の奮闘と悲惨さに熱いものを感じたわよ。不覚にも思わず落涙してしまった。

 平和祈念公園、ひめゆりの塔、司令部跡で慰霊を済ませ、目的の沖縄そばを食べに行ったのだ。

 太い麺に、ぶ厚い豚バラ肉のトッピング、豚骨のわりには意外にあっさりしたスープ。いわゆる一般的ラーメン
とは少しジャンルが違うような気がした。

 話は変わるけど、沖縄県民の気丈ぶりに感心したエピソードを紹介しよう。現地のガイドから聞いた話なんだ
けど。

 それは、92歳のお婆さんが、家に侵入してきた猛毒のハブをハエ叩きで、撃退したっていう話なのだ。

 これって、凄いことだと思う。92才のお婆さんなのだ。なんと気丈なことだろう。

 あんたがた、万一、ハブとや遭遇したら、どうする。 凍ってしまうかもしれないなあ。

 そこで提案。

 「お前は毒を持っているのか?」とハブに聞いてみるのだ。

 そしたら、ハブは、こう答えるかもな。

 「イエス アイ ハブ」


平成22年1月16日
「ラーメン紀行・博多」の巻

 九州は博多に博多ラーメンを食べに行ってきた。

 札幌での苦い体験を反省し、今回は、少々荒っぽく感じる九州弁が聞こえてくる店を探した。やっぱり、地元
の人に人気のある店こそ本物の店、研究に値する店だと信じて疑わない。

 金曜の夜だということもあり、どの店も結構、込んでいた。
 「○○とねん。」 「○○じゃなかと。」
 よし、九州弁に間違いなか。

 白くて濃い豚骨スープに、極細麺、チャーシューとネギ、きくらげがトッピングされていた。紅しょうがとゴマが
自由に入れられるようになっていた。
 これは、かなりのレベル。特にスープは絶品だと思った。スープを全部飲み干して幸せな気分になってきた。
 嗚呼、ハフハフの幸せ。

 その時だった。隣の客が替え玉を頼んだのだ。メニューには替え玉130円と書いてあった。

 よし、同じように替え玉を頼もう。

 「すいません。こっちも替え玉お願いします。」

 すると、店の人が呆れ顔で一言。

 「お客さん、スープが残っとらんとよ。」

 嗚呼。




平成21年11月20日
「ラーメン紀行・札幌」の巻 
 北海道に札幌ラーメンを食べに行ってきた。
ガイドブックに載った観光客相手の店でなく、地元の人が並んでいるような店を探したのだ。

 やっぱり地元の人に人気のある店こそ本物の店、研究に値する店だと思う。
 寒い寒い、すすきの界隈を歩きまくって、やっと、行列の出来とる店を見つけることが出来た。 ラッキー。
 「昭和31年創業の店」という看板も気に入ったのだ。
店もお客さんでごったがえしていた。

 「この店で一番売れているラーメンを頂戴。」とオーダーしたのだ。

 一番人気の黒味噌ラーメンはかなりのレベル、美味しい!と思うとともに、幸せな気分になってきた。

  嗚呼 ハフハフの幸せ。

 その時だった。
 奥の大テーブルの10人位のグループ客が、食べ終えて帰ろうとした時だった。

  全員が、大きな声で「結構いけまっせ。」「美味しいやんか。」「なんぼかいな?」「割り勘でええやろ。」
と、見事な大阪弁で喋ってくれたのだ。

  嗚呼。



 

2013-12-03 10:04:27

コメント(0)

  • 件 (全件)
  • 1
  • 2
  • 3